恋するタタタン 2011年05月

帰り道さえ探せない台風の目の中にいる夜半の泣き言 

本日より、妻夫木君と松山ケンイチさん主演の
マイ・バック・ページが本日公開初日を迎えました!
マイ・バック・ページ


新宿ピカデリーまでもちろん見に行ってきましたとも!
舞台挨拶の感想は後ほど。まずは映画の感想から。
今日は長いよ!!!



舞台は1969年から1972年までの
ベトナム戦争反対から安保闘争と呼ばれる日米安全保障条約(安保条約)に反対する運動の一連として
学生運動が激化し、左翼派が武装勢力として過激派にシフトしていく激動の時代。

さて、私は80年代生まれなので
私にとってはこの時代のことはすでに「歴史」であり社会科の教科書の中の出来事でしかない。
そもそもバックグラウンドの知識があまりないので
時代性について考えてあたふたしているだけで誰にも感情移入できず
うまく理解できないまま映画が終わってしまったというのが本音。

観ている最中はやっぱり、
松山さん演じる梅山が、何のために、何を、どうしたいのかはさっぱりわからず
果たしてこの時代の話を
2011年現在で映画化する意味というか意義って何だろうと思っていました。
これについては後述しますが舞台挨拶で説明されてちょっと納得できました。

この時代を知らないという方は、もし良ければ映画の公式HP中に
'69~'72の時代背景を説明してくれているページがあるので
これを読んでから映画を観るとよいかもです。
↓こちら↓
マイ・バック・ページを巡る1969年~1972年の基礎知識


正直、初日でさえ舞台挨拶のない回の上映は完売になってなかったし
家族で楽しく観たい映画でも、恋人と甘く浸れる映画でもなく
興行収入は冴えない結果で終わると思う。
けど、年末近くにやるキネマ旬報の映画ランキングではそこそこいくかもという感じ。
社会派の映画は賞レースにでやすいし。

個人的には予告編の編集がかなりうまいなぁと思いました。
劇中重要なシーンやセリフがうまい具合に2分の尺に編集されていて
かつ見逃せない妻夫木君の表情が重要なシーンは声だけになっているから
本編で確かめるしかないという・・・・・


ただね、気になるのは予告のナレーションとか音楽の入り方?
この映画の監督は山下敦弘監督で、「天然コケッコー」を撮った監督でもあるわけ。
その「天然コケッコー」と同じ脚本家の妻夫木君主演の映画
「ノーボーイズ,ノークライ」観てないわけないと思うですけどね。
なんか劇中の妻夫木君の泣きの芝居の撮り方とかもそうだけど、リンクするなぁと思ってみてました。



あと、同じ'69年を扱いながら全く別方向に向かった
これまた妻夫木君主演の映画も是非チェックしていただきたい。





物語とは別の観点で、
妻夫木君と後輩の松山さん競演はなかなかに面白かったです。
タイプの全く違う役者さん同士だからか、というか物語自体がそうだからか
二人のシーンはいつもどこか緊張感が漂っていて
松山さんの攻めに対して妻夫木君が真剣に受けているという感じ(決して801の話ではありません)。

それにしても妻夫木君、めっちゃ痩せてたな・・・
あんなになで肩だったっけ????とびっくりした。
それに比べて松山さんは大幅にウエイトアップしている。
腕とかかなり筋肉量が増えている感じだが、顔はまるまるだよ。


総合して、社会派ムービーが苦手でない人は観てもいいかもという感じ。
山下監督の作品としてはこれまでと全然雰囲気違うから
爽やか青春物語を期待していくと胃もたれします。




さてこっからは本日の舞台挨拶の感想。

本日の登壇者は主演の妻夫木君と松山ケンイチさん、山下監督
そして共演者の忽那汐里ちゃん、韓英恵さん、中村蒼さんです。

なぜか松山さんバーション編集だけ舞台挨拶の模様が
ニコニコでホリプロより動画アップされています。
【ニコニコ動画】松山ケンイチ「マイ・バック・ページ」初日舞台挨拶!


3月に実は妻夫木君主演の舞台「南へ」を観に行ったんですが
公演期間も長くさすがにお疲れでカーテンコールでも笑顔が見れず心配でした。
けれど今日の妻夫木君はいつもの爽やか妻夫木君で安心しました。
松山さんを始め他の主演者の方も監督も皆さん真面目な方ばかりのようで
そんな中、妻夫木君がひとり原作者の川本さんとのちょっと笑えるエピソードを話をされたり
すごく気を使って会場を盛り上げようとされてて
そういうところがいつも素敵だなぁとファン心に思います。

松山さんは実は何回かお会いしたことがあり(お見かけしたことがありが正しいか)
普段も真面目な好青年という方なのですが
今日も相変わらず東北訛りが抜けきらない自然体な感じ。
映画について話される時、
妻夫木君の表情とかエンディングとかちょっと他の方と違う視点で話されていて
おもしろいなぁと思いました。
でも衣装のサイズがいまいち合ってないのが気になりました。


で、この学生運動が盛んだった時代を今なぜ映画にするのかという意味について
妻夫木君が
「この時代にあって現代では足りないもの。一人一人が前に進もうとする力じゃないのかなって。
新しい時代を作ろうとする熱意とか。
この時代を知らない世代の僕たちが、どういう時代だったんだろうって考えることに意味があって
たとえば何十年後かに僕たちが70・80才になったとき
今の僕らの年齢くらいの人たちがまた作品にして振り返ってくれる時代に今なってるのか、
そいう時代を僕らが作って行かなきゃいけないんじゃないかと思う」
というようなことを話されていて(正確な表現は各ニュースサイトにでてると思います)
あぁ、なるほどと思ったのです。

未曾有の震災に遭いそれこそ何年後かに振り返れば
激動の年と言われるかもしれないこのタイミングで
方向性は間違っておれども
個人の意思と行動力とが試された時代の映画の公開というのは
それなりに意味があるのかもしれないとその時わかりました。
挫折の物語ではあるけれど再生の物語でもあるということが大事なのかも。

見知らぬ人ばかりの足音聞いている コーヒー2杯目もう冷めた 

情緒不安定な日々では
ちょっとした事にも躓きやすくなっていて
誰でもいいから私の話を聞いて欲しくなる。

だけど誰とも出会えない大都会のカフェに今ひとり。